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2007年10月26日

アリとシロアリの違い

白と黒。食べるものの違いだけと思っていましたが違いました。

からだの大きさや巨大な群れを作る社会性昆虫であることなど、アリとの共通点が多いが、アリとシロアリは全く異なった昆虫である。アリはハチ目(膜翅目)の一員で完全変態をおこなう昆虫であり、幼虫は蛆(うじ)のような形態をしている。一方、シロアリはゴキブリ目(網翅目)に属し、不完全変態昆虫である。シロアリでは幼虫も成虫によく似た外見をしている。

社会の仕組みについて、アリは雌中心で女王と不妊の雌である働きアリ(職アリ)で構成され、雄アリは一時的にしか生じないのに対し、シロアリでは生殖虫(女王・王)、働きアリ(偽職アリ)、兵アリ(兵隊アリ)などの階級それぞれに雌雄が含まれている。アリの社会では女王と働きアリだけで構成され、種類によっては一部の働きアリが特殊化した大型の兵アリとなるものもあるが、兵アリが分化していないものがむしろ大半である(近年は単純に戦闘に特殊化したわけではないことが明らかになっているため兵アリと呼ばずに大型働きアリ major worker と呼ぶことが普通となっている)。それに対して、シロアリではどの種にも必ず兵アリがいる。これは、アリは基本的には捕食性の強い肉食の昆虫で、すべての働きアリに高い攻撃力があるのに対して、シロアリは枯死植物を食べる昆虫であり、基本的には攻撃能力は低いからである。

また、シロアリでは真の働きアリは分化せず、他の階級への分化能力を有する未成熟の幼虫が働きアリとして働いている。つまり、アリ(ハチ)は、親(女王)が自分の子のほとんど全部を不妊の働きアリ(蜂)にすることで真社会性になったのに対して、シロアリは親が子の一部を不妊の兵アリにすることによって真社会性になったと言っていい。

ちなみに、アリはシロアリにとってもっとも恐ろしい天敵の一つでもある。熱帯ではシロアリを主たる獲物としているアリも少なくない。日本ではオオハリアリなどがシロアリを捕食することが知られている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年10月03日

麻雀とは歴史が深いものですね

麻雀(マージャン、Mahjong)は、19世紀中頃の中国を起源とし、日本をはじめ世界中で親しまれている4人用(原則)のゲームである。

ゲームは4人のプレイヤーがテーブル(しばしば麻雀卓と呼ばれる麻雀専用のテーブルが用いられる)を囲み、130枚あまりの牌(日本においては一般に34種類136枚の牌)を用いて行われるのが一般的である(麻雀卓などの専用の道具がなくともプレイできるように、カードにした簡易版の道具も売られている)。勝敗はゲーム終了時における得点の多寡によって決定される。

使用する道具や採用するルールについては国や地域によって異なる点が多く、日本国内でも標準的とされるルールのほかに、様々なローカルルールが存在する。

1850年代、上海近辺で、馬弔(マーチャオ)、馬将(マーチャン)とも呼ばれた伝統的な紙札遊戯と天九牌(骨牌遊戯の一種)から生まれた遊戯といわれている。創始者は陳魚門(チンイイメン)といわれるが、定かではない。なお、現在の中国語においては麻雀のことを一般に「麻将」(マージャン majiang)という(「麻雀」(マーチュエ maque)は中国語ではスズメを意味する)。

日本人で始めて麻雀に言及したのは(おそらく)夏目漱石で、「満韓ところどころ」(1909年)に大連での見聞として「四人で博奕を打っていた。(略)厚みも大きさも将棋の飛車角ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。」とある。実際の牌が伝わったのも明治末期で、大正中期以降、ルール面において独自の変化を遂げつつ各地に広まっていったともいうが、一般に認知されるようになったのは関東大震災の後である。神楽坂のカフェー・プランタンで文芸春秋の菊池寛らが麻雀に熱中し、次第に雑誌等にも取上げられるようになった。文芸春秋社では自ら麻雀牌を販売したという。

太平洋戦争により中国伝来の麻雀は絶滅し、終戦後は進駐軍が持ち込んだアメリカ式のマージャンに取って代わられた(現在では中国ルールによる麻雀を中国麻雀と呼び、日本における麻雀と区別している)。日本において麻雀の普及に貢献した人物は、戦前においては作家の菊池寛、戦後においては色川武大(阿佐田哲也)とされる。多くの大学生やサラリーマンが手軽な小遣い稼ぎ、コミュニケーションツールとして麻雀に親しんだ。

日本においては現在、家庭や麻雀店(雀荘)で遊ばれるほか、コンピュータゲームやオンラインゲームでも定番のゲームとして人気がある。昭和期における麻雀ブームの時期と比較すると、雀荘の数は減少傾向となり、麻雀専門誌の数も減少し、人気にかげりが出ていることは否めないが、上述のようにコンピュータとの対戦や、ネットワークを通じた不特定の相手との対戦が可能になったことで、形を変えた人気を保っている。また、効率性を思考することや、指先の運動により痴呆症の予防にも役立つと言われる。

麻雀に於けるコンピュータゲームの普及は1975年頃からであるが、業務用(アーケードゲーム)で現在のものに近いゲームシステムが導入された、最初の麻雀コンピュータゲームは、1981年5月のジャンピューター(サンリツ)であった。このゲームは一世を風靡し、ゲームセンターや喫茶店に数多く見ることができた。その後、対戦相手のコンピュータの画像を女性をモチーフとし、プレイヤーが勝つ毎にその女性の衣服を脱がせるという、いわゆる「脱衣麻雀」のコンセプトが大当たりした。年代と共にグラフィックも綺麗になり、動画になり、実写画像になりと性能や官能性もアップした。ゲームセンターでは麻雀ゲームはアダルトゲームの代名詞でもあった。時は並行して、裏ではポーカーゲーム同様、賭博筐体としても暗躍し『一発勝負のポーカーとコツコツ遊べる麻雀』という図式で流行したが、賭博喫茶の取り締まりも最近は厳しく存在自体が珍しい。

現在は麻雀格闘倶楽部などの通信機能を持たせ、全国の人と対戦できる形のコンピュータゲームが普及している。

1990年、天野晴夫が「リーチ麻雀論改革派」(南雲社)において麻雀戦術論からの抽象の排除を提唱した。その中で小島武夫、田村光昭など当時の有名麻雀プロや在野の桜井章一らの麻雀論を、「ツキ」「勘」「流れ」といった抽象論に支配されている非科学的なものであると批判した。天野は抽象的な要因を考慮することは的確な情報判断を鈍らせる原因にこそなれ、麻雀の上達には繋がらないと主張した。これがいわゆる「デジタル雀士」のさきがけである。

2004年、とつげき東北が「科学する麻雀」(講談社現代新書)を出版する。この本は、徹底した確率論的で統計学的な考察に基づく戦術論で貫かれており、麻雀界に大きな衝撃を与えた。とつげき東北は前の局の結果が次の局に影響を及ぼすとする、いわゆる「流れ」論については著書の中で徹底的に否定している。この本では「このような時には…こう打つ」と明確に論理的に場面に応じた打ち方を記述しているところが極めて画期的であった。C言語のソースや数式がふんだんに載っている麻雀攻略本は前代未聞であった。

これらに対して、「ツキ」や「勘」・「流れ」を重視する雀士も多く、このような戦術論はアナログと呼ばれている。